以下は、小松教区 一楽真(いちらく まこと)より抜粋
「お盆とは、くわしくは「盂蘭盆(うらぼん)」と書きます。インドのウランバーナという言葉が元になっていて、「倒懸(とうけん)」ともいわれます。 それは、頭を下にして足を吊られてさかさまになっていることを意味しています。そのさかさまになって苦しんでいる人をたすけようというのがお盆のはじまりです。」
「今日、お盆といえば、だいたいは亡くなった人がこの世に帰ってくる日といわれていて、そのためにたくさんのお供えを用意したり、お墓まで迎えに行ったり送ったりする習慣にもなっているようです。 それは、その人のために何かしてあげないといけない、お供えをすることが大切だ、と考えるからでしょう。」
「よく考えてみれば、亡くなった人は、すでに喜びや怒りや、哀しみや楽しみなどのない静かな世界にいってしまわれたのです。ちょっとしたことに腹を立てたり悩んだりしているのは、私たちの方です。 亡くなった人をどうにかしなければいけないと考えるよりも、私たち自身の生き方がはっきりしなければならないのです。」
「テレビがあれば、今度はビデオやファミコンが欲しくなり、それが手に入らないとつまらなく思ってしまいます。そして、思いどおりにならない原因を他の人のせいにして、自分の考えは間違っていないと思うのです。 それこそがさかさまになっている生き方です。
亡くなった人は「いのちある者は必ず死ぬんだよ」と身をもって教えてくれています。急がなくてもいいことを急いだり、必要のないものを欲しがったりして、 さかさまになって生きている私たちに対して、「それでいいのか」と問いかけているのです。その問いかけに出遇うのがお盆のおまいりです。」
この年になって最近知ったのですが、ご飯を食べるときに良く言う言葉
- 「頂きます」
- 「ご馳走様」
これにはびっくりしました。
また、他にも調べてみるとこのような言葉は、たくさんあるのですね。
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